石巻は、アースデイ東京ボランティアセンター他複数団体が共同でベースを作っている南境生活センターに6時に到着しました。
日本カーシェアリング協会もここをベースとして使わせていただきます。
毎朝7時から行われるミーティングに早速参加させていただきました。
神戸のスタッフ、山崎高ちゃんを通して、八ヶ岳ピースワーカーズのヒロさんと事前に連絡を取っていました。
八ヶ岳ピースワーカーズ
http://peaceworkers.net/archives/category/activity
炊き出しの準備のお手伝いをしたあと、ヒロさんから車をお借りして、早速調査が始まりました。
写真は炊き出しの準備している様子
車の窓から見える姿は、3月の末、私が訪れた時と比べて瓦礫が片付いていました。
しかしまだまだ崩れた建物は、その傷跡をそのままに
信号は壊れたままで、
生臭いにおいは更に濃くなっているように感じました。
まずは、石巻市役所へ向かいました。
石巻市役所は百貨店が撤退した後の建物を利用しており、1Fはスーパーになっていました。
面白いなぁと思いながら、仮設住宅を担当している部署を確認し、訪ねていきました。
まず現時点での石巻市内での仮設住宅の建設状況を確認しました。
6月18日現在
建設予定 75地区
入居スタート 22地区
入居完了 3地区
といった状況でした。
次に、仮設住宅での自治会の様子を確認しました。
現在石巻の仮設住宅では、自治会がまだ1つもできていないとのことでした。
一番新しい仮設住宅は既に入居完了後1ヶ月は経っているのですが、まだ自治会ができる様子はないとの事でした。
担当者の方がおっしゃるには、自治会は行政主導でやってしまってはよいものにならない。住民の中から自発的に生まれてくるものでなければ…とおっしゃっていました。
要するに自治会ができる目途が立っていないという事がここでわかりました。
市役所を後にし、リストを見ながら仮設住宅を早速訪ねていきました。
石巻で一番最初にできた仮設住宅「向陽町住宅地区」
137世帯が住む仮設住宅です。
ここが私がはじめて訪れた仮設住宅でした。
共産党の方々が物資を配り終わった所でかたずけをしていた所でした。
そこにいたおばさんに話しかけてみると、
「これから暑くなるので、夏に向けて使うものとかの需要がありました。例えばハンカチとかTシャツとか。」
とおっしゃっていました。
僕は一通り敷地内をゆっくり歩いてみて回りました。
するとおばあさんが草刈をしていたので話しかけてみました。
「おばあさん、ここに住んでるの?」
「そう、そこが私の部屋。で、ここが私の駐車場。草がいっぱいはえてて、近所の皆さんは草を刈って綺麗にしているから私も草刈らんとと思って今やっているんだ」
「おばあさん、車運転するの?」
「いや」
「じゃあ家族の方がここに車とめるの?」
「娘がとめる」
「娘さんと一緒に住んでいるの?」
「いや、一人で住んでいる」
「じゃあ、娘さんが時々来てくれるんやね?」
「いや、娘は死んだ」
方言交じりだったこともあり、わからなかったのですが、詳しく聞くことはできませんでした。
お婆さんは、津波の後の大変な状況を切々と語りはじめました。
1枚の毛布に6人で寝た事、一つのおにぎりを分け合って食べてなんとか飢えをしのいだこと、
「戦時中より酷かった」
と涙を流しながら、語ってくださいました。
おばあさんと別れた後も、表に出られていた方々に話しかけていき、様子をうかがっていきました。
そこで分かったのは、いろんな地域から来ていて、知らない人ばかりで、近所での会話がほとんどない。
自治会ができる気配は全くない。
公共のスペースはあるが、鍵が閉まっていて使われていない。
車は結構購入された方が多い。
といった事でした。
その後、蛇田中央公園、大橋地区、トゥモロービジネスタウン…という風に仮設住宅を
周って行きました。
蛇田中央公園
大橋地区
トゥモロービジネスタウン
外に出いる人に手当たり次第話を聞いていきました。
車を持っている人がどこもおもったより多かったです。
でもやはり、車を持っていない方もいらっしゃいました。
大橋地区にいたコンガリ焼けた細身のおっちゃんは、車が流されて、
タンス預金していたお金も流されて(このあたりのご高齢の方は銀行に預けずにタンス預金されていらっしゃる方が多いそうです)、車が欲しいけど、義援金が支給されないし、
それがいつになるかわからないし車が買えない。
とおっしゃってました。
そのおっちゃんと話をしているとおっちゃんの知り合いのちょっとがっしりしたおっちゃんが来ました。
そのおっちゃんは、運送会社を経営していたらしいのですが、トラック全て流され、自分の車も流され
もう笑うしかないと言ってました。
おっちゃん達の話を聞いた後、移動しようと車をとめた所に戻ると遠くからシルバーカーを押したおばあさんとおじいさんがゆっくりこちらに向かっているのが見えました。
じっと僕は二人を見ているとこの仮設住宅の敷地内に入って行きました。
話しかけてみると
「車?そんなんもう年で運転なんてできない。できない。」
っておっしゃいました。
おそらくすこし行ったところにあるコープに買い物を行かれたのだと思いますが、私たちが近いと思う距離でも、お年寄りの方々にとってはとても時間のかかる遠い距離なのだと思いました。
ベースに戻って四万十塾のトールさんと話をしていたら
「今、仮設住宅に入れない厳しい状況の方もたくさんいる。仮設が当選したとしても、生活するお金も移動する車もないから、どうしても最低限の生活は保障される避難所に留まっている人がいる。だから車を買えない人はもっと多いんだよ」
と教えてくれました。
四万十塾
一日石巻を周ってみて、わかったのは
仮設住宅には車を購入された方は思ったより多い。
しかし、車を購入できない方もいる。
ただ、自治会ができるにはまだまだ時間がかかりそう。
コミュニケーションができていないのが大きな課題である。
仮設住宅は便利な地区と不便な地区があって、不便なところはキャンセルが多く出ている
といった事でした。