先月、気仙沼から問い合わせが3回ほどありました。
「石巻でやっていることを気仙沼で出来ませんか?」
私達は、石巻に集中して今まで取り組みを行ってまいりました。
それは、まず型を作る事が大切だと思ったからです。
震災から1年がたち、基本的なシステムができ、40台近くの実績がようやくでき、センターが立ち上がり、それに伴い利用者の方々も立ち上がってくださり、外に目を向ける時がようやく来たのではないかと、気仙沼から連絡を受けて思いました。
スタッフの方々に相談すると、
「よし!行こうじゃないか!」
ということになり、震災から1年を経た次の日の12日、千葉さんと南川さんで気仙沼へ訪問して頂く事になりました。
朝7時に集合し、気仙沼に向けて出発しました。
行く道中、南三陸、気仙沼は本当に大きな傷跡がまだまだ残っていました。
私達が訪ねていったのは、電話をくださった気仙沼で活動する地元の方、村上満さんです。
(左から千葉さん、村上さん、南川さん)
村上さんに連れられて一つの仮設住宅を案内して頂きました。
山の道を延々と走りった所にある「牧沢テニスコート仮設住宅」です。
こんな山奥にある仮設なのですが、56世帯のうち、なんと36世帯が一人暮らしの高齢者の方がいらっしゃるそうなのです。
住民のご高齢者の方々は「姥捨て山」と自分達で呼んでいるそうです。
この階段もご高齢者の方々には、本当にキツイらしいです。
ここには、自分達で運転できる人がほとんどいない。
だから、福祉車両で送迎を行いたいと思っているのです。
ただし、経費がかかる事はできないので、軽自動車のものはないですか?
と今回村上さんが私たちに相談いただきました。
手すりの付いている車両や車いすを乗せるレールが付いている福祉車両は候補としてあるが軽自動車ではないので、現時点では保留となりました。
ここの住民の小野さんという民生委員の方がここで色々と動き回って皆さんのお世話をされていて、色々とお話を伺いました。アパート経営で生計を経てていたが、家もそのアパートも流され財産を失いながら、目の前の事に翻弄してきた1年間を私達に語ってくださいました。
家を被災された方は、住んでいる方は色々と支援を受けますが、アパートの場合、住民の方は半壊や全壊扱いで義援金を受け取る事ができるが、大家さんは受け取る事ができません。
ここも、一つ変更を加えた方がいいシステムだと思いました。
集会所で、この山道を2時間かけてお婆さんが買ってきたイカを使って炊いてくださったイカ飯をごちそうになりました。おいしそうに食べる僕らを嬉しそうに見届けて、お婆さんは家に帰っていきました。
この仮設のホワイトボードにこんな紙が貼られていました。
「これからいいこといっぱいありますよーに」
これを飾られた方々の気持ちを想像した時に、何とも言えない気持ちになりました。
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「牧沢テニスコート仮設住宅」を後にして、村上さんに「NPOボランティアステーションin気仙沼」に案内いただきました。
地元の方でそこの代表の菊田さん、それをサポートする西宮から来られていた高砂さんをご紹介いただきました。気仙沼を訪れる支援を希望される方々が使用する荷物を詰める車があれば…しかし、私たちの活動から自身が経費を捻出する事が難しい…。といった相談を受けました。
石巻でやっている事例を自分たちの経験を踏まえ南川さんと千葉さんは説明していきました。
会議に掛けて、前向きに検討していくという事になりました。
早朝から色々と活動し小腹がすいたので、帰りは、ちょっとイオンに寄って銀だこを食べて帰りました。
今回の訪問の後、村上さんから連絡があり、一関にある気仙沼管轄のみなし仮設として登録されている雇用促進住宅で具体的な利用要請をいただき、22日に車を運ぶことになりました。
「NPOボランティアステーションin気仙沼」でも今一台の車が検討されています。
石巻の人達が、他の被災地でこれから大活躍していく予感を今回の訪問で垣間見る事ができました。
気仙沼のプロジェクト、また報告させていただきます。
気仙沼へGO!
2012.03.18